自転車で、島を一周しました。
 蘭嶼、サイクリング紀行
ご親切にしていただいた先住民の娘さんに自転車をお借りして、一日かけて、島を一周しました。ちょっとした冒険気分!実際、結構、冒険でした・・・。^^;) 
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 島の南を走る!

さわやかな朝の空気の中、出発。穏やかな島の南端を走る。 

 
【島の南側をまわる。】

目覚めは朝7時。昨夜、冷房は南の島の情緒と合わないと思い、窓を開け放していたので、寄せては返す、さざなみの音を聞きながら、気持ちよく目覚めることができた。窓からは、視界いっぱいに澄んだ水色の海が見えた。少し向こうは群青色で、水平線のあたりからは入道雲が青い空に向かって沸き立っている。季節は秋だが、蘭嶼の太陽は力強く燦燦としていて、水面が反射を受けてキラキラと輝いていた。

まずは、朝食を食べる。

朝食のために、蘭嶼別館の食堂に足を運ぶ。ご夫妻が作られた西洋式の朝食は、地元の方々にも人気のようだ。目玉焼きとベーコンをはさんだハンバーガーは、暖かい台湾式の甘い豆乳と一緒に食べると、格別においしい。豆乳のほどよい甘さが、目覚めたばかりの体にちょうどいい。この宿の主人に、今日は島を一周する予定であることを告げると、雨が降るかもしれないから、雨衣(カッパ)を用意したほうがいい、と教えてくれた。

お弁当として、粽(ちまき)をひとつつみ、食堂のおばさんが作ってくれた。近くの商店でミネラルウォーターと雨衣を購入し、バックパックに放り込んだ。昨夜、東清村のご夫妻(の、娘さん)らお借りしたスポーツ自転車は、変速ギアがついていて、ペダルも軽快だ。ここ、紅頭村は、蘭嶼の西南に位置する。ここから、反時計回りに、島を一周する予定だ。

実のところ、自転車に乗るのは、実に数ヶ月振りだった。風を切る気持ちよさと、懐かしいペダルを踏む感触で、心が踊る。ペダルをこぐたびに、歩くより早く、当然だが前へ進むことに、感動を覚えた。いい天気。「紅頭の村」はすぐに後ろの風景になった。蘭嶼の衛星所という施設を右に通過した。ゴミの処分施設のようなところだろうか。忠愛橋を渡る。右手に、小蘭嶼という島が見える。昔は、神格化されていたそうだ。今では、船でわたれるようで、魚を獲る絶好のスポットらしい。蘭嶼の南端は、青春草原という、花が咲いたきれいな草原になっているそうだ。自転車からは、見えなかった。

核燃料の壁

小蘭嶼の島が右後ろに来ると、さっぱりとした波止場が目に入る。核燃料廃棄施設専用の港。あちこちの岩や、路に、「核反対」と落書きが見られる。警察のような二人が、スクーターに乗っていた。かまわずに波止場へつづく坂道を降りる。きれいな、青い色の海。船は、もちろん来ていない。まだ、使われているそうだ。「禁止」という赤い文字で、ここは許可なく立ち入ってはいけない、といったことがかかれていた。もうしばらくすると、廃棄施設があった。にわかに雨が降り始める。用意していたカッパを着込んだ。しばらく続くコンクリートの壁。島民の同意なく作られた、経済発展の一面があった。島民も、あまり近寄らないらしい。

岩の北側から見ると、複数の竜が空に向かって吼えているように見える、岩。キングギドラのような、竜が岩に埋められて叫んでいるようにも見える。太陽の陰になり、岩が黒く見えるので、より想像力をかきたてられる。波が高くなり、岩が多くなってきた。雨はスコールの様相を見せてきた。

雨は、しばらくするとやんだ。カッパは、暑いので脱ぐ。上半身とバックパックはぬれないが、ジーパンはぬれてしまう。自転車の風と暖かさで、すぐに乾くだろう。

すれ違うスクーターの人や、道を歩く人、芋の畑で作業中の人に、「アクーカイ」と声をかける。向こうも「アクーカイ」と、答えてくれる。農作業の休憩中のオジサンは、中国語が話せた。天気の話などをして、きれいな島ですね、と話すと、笑顔で、ビンローでくろくなった歯でさわやかに笑った。

・ヤギ見かける

ヤギが、多い。ヤギの一家が、道を渡る。黒豚も。ヤギ、豚、白い海鳥、鶏、犬。ヤギは、大きなものもいる。襲い掛かってくるとは思えないが、威風堂々としている。海岸の岩場を、大体、家族か、恋人同士?で闊歩している。岩場の草を食べているようだ。新鮮だ。日本で、道路にやぎが出るところは、そう多くはないはずだ。蘭嶼では、基本的に放し飼いにしているそうだ。野生ではなくて、かならず誰かが「飼育して」いるのだそうだ。竹の木の日かげに3匹で寝ている黒豚の家族を見る限りでは、野生にしか見えないのだが…。蘭嶼の原住民は、互いを信用しあっている。人のものは盗まない。困っていたら助ける。島民は三千人だそうだが、少なくとも私が出会い、知り合えた二十人ほどの人々に関しては、善良で友好的、暖かい人間性を感じ取ることができた。

・ゴミの投棄

環島道路を自転車で走っていると、所々に不法投棄されているゴミを見かける。たいがい、そこには、「ゴミ投棄禁止!罰金はいくらで…」という看板が立ち、あるいは倒されていた。島の生活が今後さらに豊かになれば、ゴミ問題は、ますます深刻化するだろう。海岸の岩場にも、廃車が投棄されていたり、発泡スチロールのようなものが黒いゴミ袋に入れられて捨てられていたり。漂着したと思われる浮遊物も含まれていた。

 


 


 東の海岸線を走る!

日も高くなってきた。村が点在する海岸線を走る!海からの風が気持ちいい。 

 
【島の東側から、北へ。】

酒を飲む

・晴れてくる

雨が降り去り、雲の隙間から太陽が照り始めた。これが、熱帯雨林地方のスコールというものか。青くなった空を見上げると、雲は、ゆっくりと流れていた。雨を降らしたと思われる灰色の雲は、確認できるほどのスピードで去っていった。新しい白い雲の向こう側には太陽が見え、青い空が顔を覗かせていた。やはり、島には太陽が似つかわしい。蘭嶼の象徴も、太陽をかたどったマークだ。と、次のタイミングで、にわかにポツリと雨粒が落ちたかと思うと、空は晴れているのにパラパラと雨粒は広がり、すぐにふたたび本格的な雨が降り始めた。

・野銀の村へ

青い海と黒い岩、ヤギにも目が慣れてきたら、集落が見えた。「野銀の村」だ。ファリノ、というらしい。少し高いところへ自転車を押して上る。見かけは原住民の集落だが、乗用車がとめてあり、台湾の演歌のようなラジオが聞こえる。この微妙な対照が、今のこの島の特徴だろうか。あぜ道には、ゴミが捨てられて、ゴミの川になっている。殻の容器や、壊れた家具、衣類の切れ端、ビニール袋、など。

・お酒を飲む

雨の中、ファリノ村の商店の前を通過したら、オジサンに呼び止められた。「雨宿りしていきなよ!」店の中では、ご婦人たちが井戸端会議の最中うだった。丸テーブルの上には、ミネラルウォーターが。あとで気づいたが、それは「米酒」だった。自転車を止めて、なにか買わなければ悪いと思い、ミネラルウォーターを購入した。店の女主人が、イスをだしてくれて、「あなた、このお酒を買って、私たちにおごって」という意味の言葉。私は75元で、保利達、ボーリーダというぶどう酒のような酒を、皆さんに振舞うことになってしまった。阪神タイガースの帽子をかぶったご婦人は、以前、この村に滞在した日本人からの絵葉書をみせてくれ、次に来たときには、ぜひここにとまっていきなさい、といった。昼間だというのに、みな、酔っ払っていた。結局、その酒と、カッパえびせん?の料金をはらい、こちらは現地語の講義を受けた。オバサンは5人になり、酔っ払った。雨がやんだので、お礼をいい、楽しい時間をすごせたことに感謝し、ファリノの商店を後にした。疲労が回復した。酔っ払っただけかな?

東清村から、北の岩場へ

・台湾からきた三人

「東清」の村を目の前にした小さな橋の上で、台湾からきた3人の若者と出会った。顔立ちが、やはり漢民族だ。橋に、計測のような彫り物をしているところだった。写真をとる手伝いをして、こちらも写真を取ってもらった。

・東清村を通過

小学校を通過した。お借りしている自転車の持ち主にあいさつを・・・ともおもったが、授業中だと思い、失礼した。このあたりは、砂浜海岸線がきれいだ。東清浜、というようだ。男性は漁に出ているようで、姿はあまり見かけなかった。

情人の穴、晴れてきた

路の側面の黒い大きな岩に、穴があいている。人間が入れそうな洞穴へ、階段が作ってあった。ここが情人の洞穴。のぼって、中の様子をのぞいてみればよかったかな。・・・いや、次回にしておこう。

・軍艦岩、獅子岩、母雛岩

「軍艦岩」が見えてきた。昔、日本と米国が戦争をしていたときに、アメリカ空軍が、日本の潜函と間違えて、5分ほど攻撃をしたという岩。確かに、遠目には軍艦数隻に見える。「ツインライオンロック」は、二頭の獅子が、スフィンクスのような格好でこちらを見ているように見える岩。これは獅子に見えた。狛犬(こまいぬ)のペアのようにも見える。「母雛の岩」は、母が雛鳥を抱いているような岩。そうは見えなかった。

朗島村の幼稚園

・イララレイの幼稚園

「朗島村」が見えた。現地語で、イララレイの村。他の村との違いが、よく分からない。黒い豚が、もう一方の豚をおんぶしていた。合体だ。村の終わりに、幼稚園のような施設があり、朗らかな子供たちの歌声が聞こえてきた。青い海と、緑の山、太陽と急な雨とにはぐくまれた子供たちは、とても元気そうだった。でも、子供たちの家にはテレビゲームがあり、テレビでは日本のアニメが流れ、私が娘さんから借りた自転車にはドラえもんのシールが貼られている。

・ヤギ、鶏、海鳥がいっぱいの楽園

海岸の岩場は、そこここが水溜りになっていて、植物も生息し、そしてヤギがたくさん。鶏、海鳥もいる。青い海、白い波を背景にして、のどかな光景だ。さながらに、動物の楽園。昼飯にする。蘭嶼別館で朝、買ったオニギリを食べる。空と海と、海からの潮風を感じながら、昼飯。デザートに、さきほどファリノでもらったバナナを二つ、食べた。

・恐ろしげな、五つの洞窟

島の北西は、波が高い。岩の数も多く、崖のような場所もある。道の左側に、「五つの洞窟」が見える。中は暗く、夜であれば、通りかかるのも怖い気がした。洞窟は、怖い。そんな本能的なものを感じた。見上げる岩肌のがけに、間口の広い洞窟の入り口。しばらくすると、「戦車岩」があった。戦車が、丘を登っていくような形の岩。そういわれてみれば・・・。そんな気もする。

 


 


 北の岬を回って、走る!

午後の日差しの中、飛行機の滑走路を横目に、最後のスパート! 

 
【西側から、ラストスパート!】

・ヤユーの村、観光施設多い

ヤユーの村は、開元港のそばにあることもあり、観光向けのお土産や、ホテルなどが整備されている。観光地化の足音が聞こえる。でも、黒豚は闊歩しているし、子供は半裸で走っている。

・飛行場で、主任と

飛行場は、飛行機がまだ来ていなかったので、閑散としていた。ネクタイのおっさんがあるいていたので、声をかけた。日本人ということがわかると、驚いていたが、話し相手になってくれた。この人は、この空港の主任で、えらい人のようだ。主任室、という比較的豪華な部屋に招待され、冷たい缶コーヒーをいただいた。タロコにいたころ、日本の明治大学からきた女性二人と話したが、英語でしか会話ができず残念だった、君は国語(中国語)がはなせて、たいしたものだ。最近は、台湾も日本同様、不景気。この島へは、島の文化、熱帯雨林の動植物を研究している研究生が、よく来る。風は、日本から吹いている。最近の若者は、髪を染めて、もったいない。自然のままの黒髪がよろしい、など。名刺を交換し、元気になった私は、御礼を言い、飛行場を後にした。

・イラタイの村を通過

冷たいコーヒーですっかり元気になり、ラストスパートで、イラタイ(漁人)の村も通過。やっと宿舎が見えてきた。紅頭村へ(イーマオロント)戻ってきた。ホテルの主人に挨拶をして、部屋へ戻る。ずいぶん日焼けした。お湯の出ないシャワーも、心地よい。部屋は角部屋で、海が見え、寄せては返す波の音が聞こえる。白いスーツと簡素な部屋、南国の風。

ヤミ族のおじいさん。

・夕方に

夕飯前、散歩がてらに紅頭村を散策。犬が吼えるのが気になる。商店では、太った若い女性が、テレビを見ていた。使い捨てカメラを購入した。私たち台湾人は、みな、日本に行きたいと思っているが、「消費が高い」からいけない、といっていた。テレビでは、ポケットモンスターが始まっていた。

・ヤミ族のおじいさん

に、外にでたら、海パン一丁で、空のバケツを引きながら歩いている老人に、挨拶をした。日本人だと言うと、うれしそうに日本語で話し始めた。結局、その老人の家に遊びに行くことになる。その老人は、タイプライターで、ヤミ族の子供のころの話を書く仕事を請け負っている、と自慢げに話した。日本の、ミツミ先生、ミナガワ先生、イヌイ先生という人が、この老人に依頼しているらしい。大きな扇風機があり、これは彼らからの贈呈品なのだそうだ。私はこのあたりの班長だった、日本の兵隊が、お前は見所があるから、ということで班長に任命されたらしい。私と、君が代を歌い、国家は変わらないでしょう、はい、同じですよ、という話をした。誇らしげに語っていた。おばあさんもいて、無愛想だったが、日本語で挨拶を交わした。

日は暮れて。

・食堂の焼きそば

宿舎の近くに、個人向けの食堂があった。客はいない。主人はテレビを見ており、チャーハンか焼きソバのどちらかをえらぶらしく、ヤキソバを注文した。ハマグリをいれるか聞いてきたが、貝類は危険と思い、謝辞した。ヤキソバは、薄いうどんのような麺だったが、うまかった。コーヒー牛乳がついていた。

・珈琲を飲みながら

外も暗くなり、宿舎へと帰る途中、ホテルの主人が夕涼みをしていた。となりにヤミ族の若者がいたので、彼とも話をした。そのとき、東清村でお世話になったご夫妻がスクーターに乗ってきてくれた。私を入れて4人で、近くのコーヒー屋へ。コーヒー屋のご夫妻も一緒に、四方山話。南の島の夕方の風に吹かれて、今日のことや、この島の若者は台湾に出稼ぎ中であること、コーヒー店の経営状況、娘さんがおてんばで、親御さんの話を聞かないこと、日本の物価が高いこと、この辺の犬はとくにうるさいこと、大陸がえりの友人が持ってきた西瓜の種(お酒のつまみのようなお菓子)がおいしいこと、私がずいぶんと日焼けしていたこと、蘭嶼には「天池」というすばらしい湖があること、今日多志兄さんは小などを話した。店長の若者と、その若い奥さんも入り、さらに酔っ払いじいさんも入り、話はいろいろな方向へ。じいさんも、「部落」、「支那人」など問題のありそうな言葉を並べながらも、楽しく話した。8時が近づくと、私をつれて下の売店で絵葉書を買い、私にプレゼントしてくれた。ご夫妻はスクーターで、娘さんは自転車で、さよならをした。