流々転々ruru-ten-ten
〜ある生産管理の担当日記〜
5.【ブームが来た!】
私たちの会社が取り扱う製品は、ある独占企業向けの高度に専門的な大規模装置で、自由化という時代の波にもまれて、どちらかといえば衰退の方向に向かっていた、ということは、冒頭の部分で紹介した。しかし、200x年、時代の大波がやってきたのだ。この製品を、「P」というニックネームで呼ぼう。
2000年は、ある社会インフラの発展が急速に進んだ一年である。その社会インフラの変遷を、A→B→Cを仮定しよう。Aは1999年までの主流インフラ、BはAがCにつながるまでの過渡期のインフラ、Cが2001年以降現在にいたる主流インフラだ。わが社は、よりによって、その「B」インフラに対応した製品「P」を大量に生産したのだ。その頃は、まさか「C」が次世代の主流インフラになるとは、予想しなかった。
まあ、個人的には、価格も安くて使い勝手のいい「C」こそが、と思っていたが、会社はそうは思っていなかった。事実、2000年度だけを見てみれば、「B」インフラは主流といってよかった。「B」インフラに不可欠の、わが社の製品「P」の売れ行きは、ものすごく、事業部売上の半分近くを、その製品だけで稼いでいた時期もあった。
2000年12月。工場は、ほぼ限界まで生産するが、顧客の希望する納入台数は、それでも膨れ上がっていく。ほぼフル回転で、工場も忙しい。だが、売れるものを作るのだから、工場の空気は、活気があって良くなる。現場の監督者の、バカ野郎と、どなる表情にも、笑顔の余韻を感じたものだ。
2000年12月の売れ行きが、10,000台としよう。それなら、翌年の同時期の売れ行きは、10,000台かもしれない。しかし、最近の売上の増加割合を考慮すると、15,000台くらいは売れるかもしれない・・・。強気の予測が、強気の空気をよび、好景気の風が、工場部門を巻き込んだ。実際に、この期間の成績で、ボーナスが大幅に上がった部門の友人もいたし、役職に昇進した同僚もいた。物流管理部門には、山のような伝票が積みあがり、倉庫は、入庫した物品から、片っ端に配送していった。
しかし、2001年に、「C」インフラが主流になり始めると、雲行きは変わってきた。最初は、売上予測の増加傾向の是正。そして、若干の下方修正。そして、なんと、停止。2002年の12月には、故障した装置の交換用に数台出荷される程度にまで、売上台数は激減した。ほんの一年の間に。悪夢のような、現実だ。
工場には、在庫があふれ始めた。未完成の、製品在庫と計上されない中間部材も、工場のあちらこちらに、貯まっていた。下請けの工場は、もっとひどい状況にあるようだ。売れない装置が、倉庫を埋めていく。顧客先企業にも、需要のなくなった「B」インフラ対応の装置は、すごい数量で余っているそうだ。
工場は、前もって部品を調達する必要性から、半年先の製造計画を見積もり、部品手配をかける必要がある。わが社の下請け工場、関連工場も、半年先、場合によっては一年先の予定を見据えて、部品を集める。1年分の部材が、サプライチェーン全体に、蓄積されていた。人間の体にたとえれば、動脈硬化を起こしそうな、健康状態だった。私たちの事業部は、現状を本社上層部に報告し、決断を待った。
本社の決断は、廃却だった。
製品在庫、中間部材、さらには関連会社の中間部材まで引き受けて、廃却。数億円の規模になった。せっかく作った製品を、廃却しなくてはいけないつらさは、工場業務を経験しなければ、理解できないだろう。会社全体で煽り立てて作ったのだが、最終的な責任は、形式上、実際に手配を行った、私たち生産管理部門が負うことになった。廃却レポートを作成し、何人もの上司の名前のハンコが押されたレポートを、関連部門に送付して、工場の関連部門からちょっとだけいやみを言われて、ブームは去っていった。
時代は、「C」インフラを受け入れた。私たちの「B」インフラも、まったく使われていない、というわけではない。「C」インフラを適用できない、地方の人口の少ない地帯では、まだまだ現役で使われていると思う。しかし、企業内に設置される装置なので、目にすることはないだろう。
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